はじめに:世界は俺の庭だ - 日本初のキャンピングカーは世界へ

こんにちは、CSSファクトリーです。今回のキャンピングカーラウンジでは、日本初のキャンピングカーと言われている「エスカルゴ号」のストーリーをお届けします。

近年の日本においてキャンピングカーや車中泊を楽しむライフスタイルは、一過性のブームの枠組みを超え、私たちの社会にひとつの文化として定着しました。お気に入りのアウトドアギアや生活道具を愛車に詰め込み、愛車のハンドルを握って旅をする人々の姿が全国各地の道の駅や高速道路のパーキングなどで見られます。夜になれば、RVパークやオートキャンプ場などにクルマを停め、そこを臨時の我が家として星空を見上げる。この自由で、魅力的なライフスタイルは、日常生活の喧騒から離れ、人間が本来持っている「移動する喜び」と「自然との共生」を取り戻すための、現代における最高の手段とも言えるでしょう。

日本におけるキャンピングカー文化の源流をたどっていくと、今から70年近く前のまだ日本ではアスファルトで舗装された道すら珍しかった昭和33年に製作された「エスカルゴ号」という車両に行き当たります。

「エスカルゴ号」は、画家である桐野江節雄(きりのえ・せつお)氏と、助手の神保五生(じんぼ・ごせい)氏が共著で著した紀行・地誌書籍『世界は俺の庭だ』(1965年・昭和40年、大門出版刊)の主役であり、後世の自動車史にて「日本初のキャンピングカー」と呼ばれる伝説のキャンピングカーです。彼らは、現代のような通信システムが全く無かった時代に、自ら構想した「動く家」に乗り込み、海を渡って世界中を駆け巡りました。今回のキャンピングカーラウンジでは、日本のモータリゼーションが黎明期にあった昭和30年代に産声を上げた日本初のキャンピングカー「エスカルゴ号」の誕生秘話、9万7290キロにも及ぶ壮絶な世界放浪の記録、そして、先人たちが切り拓いた自由な旅の精神について、深く、余すところなく紐解いていきます。

第一章:大衆消費時代の幕開けと「パリ以外の世界」への渇望

時計の針を、1950年代後半の日本へと戻してみましょう。当時の日本は、戦後の復興から立ち直り、まさに大衆消費時代の幕開けという熱気に包まれていました。テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫が嫁入り道具や家庭生活の豊かさのシンボルとして「三種の神器」と持てはやされ、人々が新しい時代の豊かな暮らしを熱狂的に追い求めていた時代です。

日本の自動車産業においても、歴史的な転換点が訪れようとしていました。1958年(昭和33年)には富士重工業(現・SUBARU)から、のちに「てんとう虫」の愛称で親しまれる名車・スバル360が発売され大きな話題を集め、いよいよ日本にも本格的なマイカー時代の到来を告げたのです。しかし、乗用車がようやく普及の兆しを見せ始めたばかりの日本において、欧米ではすでに普及し始めていた「車で生活しながら旅をする」という「オートキャンピング」の概念は熱心なクルマ愛好家やアウトドア愛好家の間でもほとんど知られていなかったのです。

そんな時代背景の中、「車に住み、車で世界を旅する」という、当時としては荒唐無稽とも言える壮大な夢を抱いた男がいました。それが、気鋭の画家であった桐野江節雄氏です。

当時の芸術界では、画家を志す若者は誰もが、芸術の都であるフランス・パリを目指すのが一種のステータスであり、王道でした。しかし、桐野江氏の考えは、既存の枠組みには収まりきらないスケールの大きさを持っていました。

「いまさらパリでもあるまい。どうせ走れる車があるなら、世界中を見てやろう」

彼は、特定の都市のアトリエに閉じこもるのではなく、刻一刻と表情を変える大自然や、異国の見知らぬ街角そのものを自らのアトリエにしたいと考えたのです。そして、絵画の修業を兼ねて、寝泊まりができるキャンピングカーを自ら仕立て上げ、それで海外を巡るという壮大かつ無謀なキャンプ旅行を心に決めたのでした。

第二章:粋なパトロンの存在と、「マツダHBR型オート三輪トラック」の提供

しかし、当時の日本ではキャンピングカーという概念すら存在せず、当然ながらキャンピングカーや車中泊車などは売られていません。この無謀とも言える挑戦を実現させるためには、ベースとなる車両と、それを改造するための資金、そして何より、若者の途方もない夢を笑わずに応援してくれる理解者が必要でした。

この歴史的なプロジェクトを後押ししたのが、東京マツダ販売の石塚社長でした。

石塚社長は、桐野江氏の規格外の熱意に深く打たれ、この前代未聞のキャンプ旅行のベース車両として、1958年型の「マツダHBR型」オート三輪トラックを提供しました。この車両は、当時の日本の過酷な物流を支えていた、屈強な2トン積みのトラックです。1958年の改良で、オートバイのようなバーハンドルから四輪車で一般的な丸ハンドルを採用。エンジンは最高出力43馬力の強制空冷V型2気筒1500ccエンジンを搭載していました。この年式は、空冷V型2気筒の最終年で、翌年の改良で水冷直列4気筒エンジンに換装されています。一見旧態依然とした空冷V型2気筒ですが、長年の改良により機械として熟成されていたと思われ、のちに彼らが経験する過酷な旅路において、その信頼性は大きな武器となるものでした。

車両の無償提供に際し、石塚社長は驚くほど粋で、どこまでも寛大な言葉を桐野江氏にかけました。「若い人の夢の実現に協力するため、車は無条件で出してあげよう。途中で壊れたら、捨ててくればいい。売り飛ばして旅費の足しにしてもいい。車を有効に使って、世界を広く深く見て、楽しんでいらっしゃい」損得勘定を抜きにした、この懐の深い大人の粋な計らいと全面的なバックアップがなければ、日本初のキャンピングカーが産声を上げることは、決してなかったことでしょう。

第三章:「武ボデー」による架装と「エスカルゴ号」の誕生

石塚社長から提供されたマツダHBR型を、生活可能なキャンピングカーへと生まれ変わらせるという難題を引き受けたのが、トラックの架装で多くの実績を持つ車体製造業者「武ボデー」でした。キャンピングカーの架装に関するマニュアルもノウハウも皆無の時代に、武ボデーの職人たちは、マツダHBR型の荷台部分に桐野江氏のスケッチとこだわりが詰め込まれた居住部を組み上げていきました。

これは推測ですが、当時もトラックの荷台に密閉された荷箱を架装することはあったと思われます。ベースの「オート三輪トラック」は、日本の税制が三輪車を優遇していたことから、広く普及し、積載2トン、全長6メートルの車両までありました。当時の日本の道路に舗装路は珍しく、自動車愛好家の間では「極悪非道」と揶揄されていたほどの悪路が大半でした。そんな悪路の激しい振動で鍛えられた荷台架装のノウハウを活用して、マツダHBR型の荷台にキャンパー居住部を構築していったのではないでしょうか。キャビン内部には、大人2人が足を伸ばして快適に寝泊まりできる折りたたみ式のベッド、異国で自炊を行うための機能的なコンロ、そして画家にとって最も重要な、大量のキャンバスや絵の具を機能的に収納できる専用スペースが構築されたといわれています。

背中に巨大な居住空間という「家」を背負ったそのユーモラスなフォルムから、この車は愛情を込めて「エスカルゴ号」と名付けられました。車体の側面には、桐野江氏の旅への純粋な想いを込めた「かたつむり絵筆をかついで旅に出る」という言葉が、日本語、英語、フランス語、ドイツ語の4カ国語で書き並べられました。これは単なる装飾ではなく、見知らぬ異国の人々と対話するための、エスカルゴ号自身が発する「走る名刺」としての意味が込められていたようです。

日本の町工場の職人魂、そして若き画家の情熱が結晶化し、日本初の国産三輪キャンピングカーは、こうして誕生しました。

第四章:9万7290キロの大航海 — エスカルゴ号で世界を巡る

1958年(昭和33年)11月、すべての準備を整えた桐野江氏(当時33歳)は、助手の神保五生氏(当時20歳)を連れ、完成したばかりのエスカルゴ号とともに横浜港の岸壁に立っていました。彼らは、三井商船のミカン運搬船「青葉丸」に愛車を積み込み、周囲の期待と不安が入り混じる中、いよいよ日本を出港しました。果てしない大航海の幕開けです。翌12月、アメリカのサンフランシスコに上陸した2人と1台は、まずアメリカ大陸からメキシコにかけて、広大な大地を走破するキャンプ旅行を敢行しました。広大なハイウェイや荒涼とした砂漠地帯を、空冷Vツインエンジンの轟音を響かせながら走り抜けたのです。その後、再び大西洋を渡り、旅の本来の目的地のひとつであったヨーロッパへと足を踏み入れます。

ベルギー、フランス、ドイツ、スイス、ノルウェー、デンマークなど、西欧から北欧までを股にかけた大放浪。その道程は、決して平坦で優雅なものではありませんでした。当時のヨーロッパの地方道は未舗装の悪路も多く、急勾配の連続するアルプスなどの山越えでは、強制空冷エンジンゆえの熱ダレ(オーバーヒート)との壮絶な戦いが幾度となく彼らを襲いました。

トラブルが発生した際には、村の鍛冶屋で修理を手伝ってもらったり、地元の人々から自家製のワインやパンの差し入れを受けたり。その温かな交流の中で、桐野江氏はエスカルゴ号の窓から見えるヨーロッパの美しい風景を、次々とキャンバスに写し取っていきました。
日本独自の見たこともない異形の三輪トラックベースのキャンピングカーに、東洋人の画家たちが乗っている。エスカルゴ号は、どこの国のどんな街角に行っても、またたく間に衆目の的となりました。言葉が十分に伝わらなくとも、側面に書かれた4カ国語のメッセージと、カタツムリのような車の愛嬌ある姿が、彼らと現地の人々を繋ぐ最高のコミュニケーションツールとなったのです。

第五章:受け継がれる轍と日本オートキャンプ文化の夜明け

トラブルを乗り越え、現地の生活に溶け込みながら続いた旅は、ついに帰還の時を迎えます。
1963年(昭和38年)3月8日、桐野江氏は一足先に空路にて帰国。助手の神保氏とエスカルゴ号は、それから35日後の4月12日に、貨物船に揺られて横浜港へ無事帰還しました。この途方もない旅行期間は、実に「4年4カ月」。その間の走行距離は、「9万7290キロ」に及びました。強制空冷Vツインエンジンの三輪トラックで、地球を2周半以上、年間平均2万2000キロを走破した計算になります。これは、日本のキャンピングカー史に永遠に刻まれるべき偉業です。

帰国後、2人はこの前代未聞の旅の様子や、数え切れないほどの思い出を克明にまとめた書籍『世界は俺の庭だ』(B6判、296頁、大門出版)を1965年に出版しました。定宿を持たず、車を停めた場所がその日の自分の庭になるという痛快なタイトルは、当時の日本の若者の多くに衝撃と感動を与えました。

さらに桐野江氏は、ヨーロッパの旅で自ら肌で体感した「車で自然の中に入り、豊かな時間を過ごす」という本場のオートキャンプ文化を、これからの日本にも必ず根付かせなければならないという強い想いを持ちました。そして、賛同する仲間たちと共に「日本オートキャンピングクラブ(JACC)」を設立します。これがのちに、日本のオートキャンプの健全な普及やルール作りを担う「日本オートキャンプ協会(JAC)」へと発展していくことになります。

エスカルゴ号が世界の大地に刻んだ9万7290キロの轍は、決して過去の武勇伝として消え去ることはなく、現代の日本におけるキャンピングカーや車中泊車の普及、そして自由なくるま旅の強固な礎となったのです。

第六章:終わらない旅を支えるために — 現代のキャンピングカーの課題

「情熱と少しの工夫、そして信頼できる相棒(車)さえあれば、世界中どこであっても自分の庭にできる」。日本初のキャンピングカー「エスカルゴ号」の壮大な旅路が証明したこの痛快な真理は、キャンピングカーのテクノロジーがどれだけ進化しようとも、本質的には決して変わることはありません。しかし、4年4カ月・9万7290キロという途方もない旅を成し遂げた背景には、日々の車両点検と、「車を維持し、走らせ続けるための整備と修理」という、極めて現実的な闘いが常に付きまとっていたはずです。異国の地元の鍛冶屋に修理を乞い、自ら油まみれになってエンジンをなだめすかしながら走ったエスカルゴ号の時代。それはある意味で、牧歌的でロマンに溢れた時代でした。

翻って現代はどうでしょうか。

私たちが乗る現代のキャンピングカーは、エスカルゴ号の時代からは想像もつかないほど複雑に進化しています。車両には、高度な運転支援システムが搭載され、キャンパー架装部には大容量のリチウムイオンサブバッテリー、高効率なソーラーパネルシステム、家庭用エアコン、FFヒーター、給排水システムなど、快適な旅を実現するための最新装備が機能的にレイアウトされています。しかし、装備が高度化・複雑化すればするほど、メンテナンスの難易度は飛躍的に上昇します。キャンピングカーは、常に「走行時の激しい振動」と「過酷な温度変化」に晒されながら機能しなければならない特殊な住宅です。ひとたびメンテナンスを怠れば、電気系統のショート、水漏れによる木材の腐食、タイヤのトラブルなどは旅先での重大な事故や立ち往生に直結します。

さらに、多くのキャンピングカーオーナーが直面している切実な問題があります。それは、「キャンピングカーを総合的にメンテナンスしてくれる場所が極端に少ない」という現実です。

一般的な自動車ディーラーや整備工場では、キャンパー架装部の知識や部品がなく、修理を断られるケースが大半です。一方で、キャンピングカービルダーに持ち込んでも、ベース車両のエンジンやシャシーなどの専門的な整備には自社では対応していなかったり、対応していてもキャパシティ不足で予約が3ヶ月待ちになる、という場合もあるようです。「動く家」であるキャンピングカーには、一般的な乗用車とは次元の異なる、専門的で、なおかつ「車両」と「家」の両方を同時に診ることができる継続的なケアが不可欠なのです。

第七章:CSSファクトリーの使命 — ワンストップ・メンテナンスの実現

この現代のキャンピングカーライフにおける切実な課題、オーナーたちが抱える悩みに真正面から応えるため、岡山県から全国のキャンピングカーオーナーへ向けて「CSSファクトリー」が始動しました。

CSSファクトリーは、単なる修理工場ではありません。私たちは、くるま旅を楽しむ旅人たちが、いつでも安心して帰ってこられる「最強のベースキャンプ」でありたいと考えています。そのために、キャンピングカーに必要な洗車・車検・修理・整備を「ワンストップ」で提供できる体制を構築しました。そして、キャンピングカーライフに安心と安全をお届けする洗車とメンテナンスをパッケージ化したサブスクリプション「CSSサブスクリプション」も提供しています。

結び:終わらない旅の系譜を、未来へ繋ぐ

60年以上前、桐野江氏と神保氏がエスカルゴ号で世界に証明した『世界は俺の庭だ』という痛快なメッセージ。それは、現代を生きる私たちにとっても、永遠のロマンであり、究極の目標です。

私たちは、キャンピングカーを愛するすべてのオーナーが、車のトラブルという足枷に縛られることなく、この言葉を心から実感できるようサポートし続けたいと願っています。エスカルゴ号が苦難の末に拓いた、自由で果てしない旅への轍。その轍を、より安全に、より快適に、そして確実に未来の世代へと繋いでいくこと。それこそが、キャンピングカーを「修理」するだけでなく「守り育てる」場である、私たちCSSファクトリーの誇りであり、最大の使命なのです。

さあ、万全のメンテナンスと洗車で整えられた愛車に乗り込み、旅に出ましょう。

世界は、あなた自身の庭になるのを待っています。