こんにちは、CSSファクトリーです。
今回の「系譜」シリーズで取り上げるのは、日本生まれのキャブオーバーバンが韓国に渡り、起亜(KIA)の手で独自の発展を遂げ、現代のEVモビリティ「PV5」に至るまでの経緯です。
※今回の記事はメーカー公式サイト「KIA The Dream of Mobility on Wheels」「Kia Bongo: A Steadfast Partner for Small Business Owners in South Korea」や、WEB公開情報を参照して執筆しています。
序章:起亜とマツダ—技術提携の原点は三輪トラック
起亜とマツダ(当時の社名は東洋工業)の関係は、初代ボンゴの発売よりずっと以前、1960年代の三輪トラックにさかのぼります。起亜産業は1962年、東洋工業との技術提携により、韓国初の国産三輪自動車「起亜マスタ K-360」を送り出しました。これはマツダの軽三輪トラック「K360」をそのままライセンス生産したもので、当時の狭い道路事情に適した輸送手段として韓国の物流を下支えしました。
続いて1963年には、マツダ「T1500」を基にした最大積載量1.5トンの「起亜T-1500」を投入。さらに1967年には、東洋工業との技術提携のもと、マツダ「T2000」をライセンス生産する形で最大積載量2トンの「起亜T-2000」を送り出しています。T-2000には、ダブルキャブ仕様やダンプ仕様など、マツダにはないボディバリエーションも用意されました。一方、K-360が担っていた小型・都市部向け需要は、1969年投入の後継モデル「起亜T-600」に引き継がれています。
その後、起亜産業は1974年、ソハリ工場で2代目マツダ・ファミリアのライセンス生産車「ブリサS-1000」を発売し、初の乗用車事業に参入します。発売2年後の1976年には国産化率を89.5%まで高めるなど、技術提携をベースにしながら国産化を進める姿勢が見られました。KIAブリサは、韓国映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」でも、主人公が乗るタクシーとして登場していました。これは、映画の設定である1980年当時、韓国でメジャーなタクシーとして活躍していた証ともいえるでしょう。しかし、その1980年、韓国政府主導の自動車工業統廃合により、起亜産業は乗用車事業からの撤退を余儀なくされます。この危機を、マツダ・ボンゴのライセンス生産で乗り切ったのが、今回たどる「ボンゴ」の系譜です。
コラム:乗用車事業の浮沈—起亜危機と現代傘下入り
序章で触れた通り、起亜産業は1980年、韓国政府の自動車工業合理化措置により乗用車生産の中断を余儀なくされ、この空白を埋めたのが商用車ボンゴでした。乗用車事業は、フォード・マツダとの協力によって1987年、小型車「プライド」(輸出名:フェスティバ)の生産により再開されます。プライド/フェスティバは生産終了までに累計約145万台を生産し、その半数以上が38か国に輸出され、起亜の海外展開の足がかりともなりました。
1991年の東京モーターショーには、後継の独自開発車「セフィア」とSUV「スポーティッジ」を出品し、技術自立を対外的に示します。スポーティッジは1993年に発売され、「世界初の都市型SUV」とも評される、起亜として初めて外部ライセンスに頼らない独自開発モデルでした。
同じ時期、起亜は異色の展開も見せています。1993年、生産を終えていた英国ロータスの2代目「エラン」(M100型)の権利を取得し、1996年7月、「起亜エラン」として発売しました。ロータス版のエランは前輪駆動(FF)という当時のスポーツカーとしては異例のレイアウトに、いすゞ製1.6L DOHCエンジン(型式4XE1、いすゞ・ジェミニ由来)を搭載しており、自然吸気(NA)130馬力とターボ165馬力の2本立てでした。これに対し起亜版では、セフィアなどにも使われていたマツダ系の1.8L「T8D」型エンジンをNAのまま151馬力まで高めた仕様に換装しています。日本市場にも「KIA・ビガート」の名で限定的に導入されていました。しかし生産台数はわずか1,055台(うち235台が輸出)にとどまり、後述する経営危機のあおりも受けて1999年に生産を終えました。
これらの積極的な展開の裏で、起亜グループは過大な設備投資による財務体質の悪化を抱えていました。1997年7月15日、アジア通貨危機による資金繰り悪化から傘下28社が事実上の経営破綻状態に陥り、同年10月には法定管理(日本の会社更生手続きに相当)に入ります。1998年4月には正式な会社整理手続きが始まりました。
この危機の中、1998年5月に現代自動車が優先交渉権者に選定され、同年10月に買収の覚書を締結。1999年3月、国際入札を経て起亜は現代グループの傘下に入ります。2000年2月には韓国で最短記録となる期間で法定管理を終了し、同年8月31日には現代グループから分離して、現在の「現代自動車グループ」を形成しました。なお、フォードは経営破綻直後の1998年後半に資本を引き上げており、マツダも2000年5月頃までに保有株式をすべて売却したとされ、現代グループ形成前後で両社との提携は解消しています。
序章で述べた三輪トラック・ボンゴのライセンス生産から続く起亜の技術的な歩みは、この1997年の危機と現代傘下入りを経て、今日のPBV・PV5開発へとつながっています。
第1章:1980年、韓国に導入された「キア・ボンゴ」
1980年代初頭の韓国は経済発展のさなかにありましたが、当時の自動車市場では小型商用車が不足していました。
こうした状況の中、起亜産業は1980年、マツダの2代目ボンゴ(1977年発売)をそのままライセンス生産して導入し、初代「キア・ボンゴ」(BA2型)をまずはトラックから韓国市場に投入します。当初はマツダのデザインをほぼそのまま踏襲していましたが、翌1981年、ワンボックス・バン/コーチ型「ボンゴコーチ」の発売にあわせて、ヘッドライトを丸型から角型に変更しています。エンジンは当初70馬力級で、競合のヒョンデ・ポーターより15馬力程度上回っていたとされます。1987年には廉価版の「パワーボンゴ」が追加され、1993年まで並売されました。
この投入は成功を収めました。起亜の記録によれば、1985年までの累計販売台数は約19万台に達し、1983年には起亜が韓国上場企業の純利益ランキングで首位になっています。その普及ぶりから、韓国では「ボンゴ」という車名が、バン・小型商用車全般を指す一般名詞として定着しました。これは、「マツダ・ボンゴの系譜:初代から現行までライトキャブコンを支えた60年」でも触れたとおりです。
第2章:「ワイドボンゴ」—車体拡大と装備強化の10年
1989年1月、起亜はマツダの3代目ボンゴをベースに、より大きな車体を持つ2代目「ワイドボンゴ」(SR型)を投入します。
この世代では機構面の変更も相次ぎました。シフトレバーはコラム式からフロアシフト式に変わり、操作性が改善されました。エンジンは当初のJS型から、1992年11月にJS2700ディーゼルへ、1995年6月にはJ2型(83馬力)へと段階的に強化されました。同じ1995年に追加された派生モデル「ボンゴJ2」は、同クラスで初めてABSを搭載(1996年10月)しています。1995年からは自動変速機(AW03-72LE)も選べるようになりました。それまで荷物を運ぶための道具だった商用バンに、乗用車的な快適装備が持ち込まれ始めた時期です。1993年型以降は、全キャブでヘッドライト形状が統一されました。
第3章:「ボンゴ・フロンティア」—起亜が独り立ちした世代
1997年に登場した3代目(W3型、通称「ボンゴ・フロンティア」)は、大きな転換点にあたります。名前こそ「ボンゴ」を継承していますが、実質的にはマツダのタイタン・ダッシュ(1トン級)に匹敵する車格に格上げされ、起亜の単独開発に近い内容になったとされています。マツダのライセンス生産車から、起亜が自社技術で作り込む車種へと転換された世代です。
搭載エンジンは、1トン及び1.3トン/1.4トンの「フロンティア」が直列4気筒3.0L「JT」型ディーゼル(初期90馬力、フェイスリフト後85馬力)、2.5トンは初期SH型を経て2000年以降D4ALターボ(3.3L、120馬力)へと換装されました。1999年10月には4WDモデルが追加されています。これは農業用トラック「セレス」の後継を兼ねたもので、競合のヒョンデ・ポーターに13年先行してのAWD化でした。
装備面での先行も目立ちます。1998年2月からは1トントラック級として唯一「チルトキャブ」をオプション化しメンテナンス性を改善、同年にはABSの無償装着キャンペーンを実施しました。グレード構成は、初期(1997〜2000年)が一般キャブ/キングキャブ、フェイスリフト後(2000〜2004年)は2WDが「フロンティア/フロンティアL/フロンティアGLS」、4WDが「ボンゴ4輪」に細分化されています。この世代は2004年1月、排出ガス総量規制未達と後継「ボンゴ3」投入を理由に生産を終えました。
第4章:「ボンゴ3」—20年を超えるロングセラー
2004年1月13日、現行系統に連なる4代目「ボンゴ3」(PU型)が登場します。当初搭載されたのは2.9L「J3」型CRDi(Common Rail Direct injection)エンジン(123馬力)で、15インチホイールとバンパーガードを備えていました。
この2004年の投入時、ボンゴ3はトラック単独ではなく、プレジオ(バン/コーチ系モデル)をフェイスリフトした乗用/バン仕様「ボンゴ3コーチ」も同時に発売されていました。しかし、1998年にミニバンのカーニバルが登場し、2001年のカーニバルII、2005年のグランドカーニバルとKIA製ミニバンのラインナップが拡充されると販売が落ち込み、「ボンゴ3コーチ」は後継モデルが登場せず生産を終えます。以降、現在に至るまで「ボンゴ3」系統はトラックおよびそのシャシーをベースにした冷凍車・ウィングボディなどの特装車として存続しており、乗用/バン仕様の系譜は途絶えました。この辺りの歴史は、トヨタ・ハイエースワゴンがグランビア/グランドハイエースとの併売期間を経てアルファード/ヴェルファイアに移行していった歴史に似ていると言えそうです。
以降のボンゴ3は、細かな改良を重ねながら生産が続くロングセラーとなります。2008年にはユーロ4に適合すると共に126馬力に強化され、同年10月にはLPガス仕様の「LPi」も加わりました。2012年の大規模フェイスリフトでは、J型に代わる新設計の2.5L「A型」ディーゼルを搭載し、6速MTと5速ATを組み合わせたほか、ステアリングオーディオスイッチ、ヒーテッドステアリング、Bluetoothハンズフリーが加わっています。2017年にはユーロ6対応とあわせ、上級グレードにLEDサイドリピーターとブラウン内装オプションが追加されました。2020年の改良ではSCR(尿素水噴射)の採用によるユーロ6対応に加え、フルオートエアコン、リアウィンドウ熱線、ベンチレーションシートなど、商用車の枠を超えた快適装備が上級グレードに揃っています。
排出ガス規制強化の影響も色濃く受けており、2022年10月にはLPi仕様が生産終了、2023年11月には韓国国内でのディーゼル仕様の販売も終了し、代わってT-LPDI(ターボ直噴LPG)エンジン搭載車の供給が始まりました。2024年型では2.5L LPGターボ直噴エンジンへと、パワートレインの主軸がLPGへ大きくシフトしています。
そして2020年1月、この息の長いボンゴ3系統に電動版「ボンゴ3 EV」が加わりました。バッテリー容量58.8kWh、満充電時の航続距離211km(発売当時)というスペックで、その後も改良が続き、現行モデルでは出力向上しつつ航続距離を217kmまで改善しています。PV5に先立ち、起亜による商用車の電動化は意外と早く進んでいたのです。
第5章:「PBV」の時代へ—PV5が受け継ぐもの
起亜は2024年のCESで、「PBV(Platform Beyond Vehicle)」という事業構想を打ち出しました。単一のプラットフォームに対し、用途ごとに異なる上物(キャビン部分、起亜は「ライフモジュール」と呼称)を組み合わせることで、多様なモビリティニーズに対応するという考え方です。
その第一弾として2025年2月、スペインで開催された「Kia EV Day」で正式発表されたのが「PV5」です。基盤となるプラットフォームは、現代自動車グループの既存EV基盤「E-GMP」を商用向けに派生させた「E-GMP.S」です。
ラインナップは、乗用向けの「パッセンジャー」、商用向けの「カーゴ」(コンパクト/ロング/ハイルーフ)、車いす仕様の「WAV」、シャシーキャブ、欧州限定の「クルー」など多岐にわたり、キャンピングカー仕様や冷凍・冷蔵仕様への架装展開も進められています。生産は韓国・華城(ファソン)のAutoLand Hwaseong EVOプラントで行われており、年産能力は約10万台とされています。
現地メディアによる起亜の担当者への取材によると、ボンゴで培ってきたバンの製造・販売ノウハウがPV5の開発にもつながっているとのことです。床下にバッテリーを敷き詰めたEV専用設計により、エンジンのない広くフラットな空間が実現している点は、かつてキャブオーバー構造で低床フラットフロアを追求したボンゴの設計思想と、目指す方向性は共通しています。
終わりに
1962年の三輪トラックから始まった起亜とマツダの技術提携は、T-1500、T-2000といった積載量違いの三輪トラック展開、そして2代目ファミリアをベースとしたブリサ(1974年)を経て、1980年のボンゴ導入へとつながりました。そこから、ワイドボンゴでの装備強化、ボンゴ・フロンティアでの自社開発化、ボンゴ3での長期熟成と電動化を経て、起亜自身の商用車の歴史は60年以上に及びます。PV5は、その長い歴史と経験に基づき、乗用EVと共有する基盤を用いて開発された次世代のPBVです。
なお、起亜を含む現代自動車グループは、2025年実績で世界販売727万台を記録し、トヨタグループ(1,132万台)、フォルクスワーゲングループ(898万台)に次ぐ世界3位の座を4年連続で維持しています。営業利益ベースでは同年、フォルクスワーゲングループを上回り世界2位に浮上しました。三輪トラックのライセンス生産から出発した起亜の歩みは、世界有数の自動車グループへの成長に貢献しているのです。
車体は「マツダのライセンス生産車」から「E-GMP.Sを基盤とする自社PBV」へと変わりましたが、限られた車体の中で人や荷物を効率よく運ぶというKIA製商用車の設計思想は、三輪トラックの時代からPV5まで一貫しています。
CSSファクトリーでは、こうした商用車の系譜をたどりながら、クルマという空間が働く人々の生活をどう支えてきたのか、引き続き検証していきます。