はじめに
こんにちは、CSSファクトリーです。
今回のキャンピングカーラウンジでは、1960年代後半から1980年代にかけて、日本でどのようなキャンピングカーや車中泊仕様車がつくられ、販売されていたのかを、それぞれの時代背景とあわせて振り返ります。
以前の記事では、日本初のキャンピングカーといわれる「エスカルゴ号」を紹介しました。1958年(昭和33年)、画家の桐野江節雄氏が、東京マツダ販売から提供されたマツダHBR型オート三輪トラックをベースに、車体製造業者「武ボデー」の架装によって仕立てた車両です。当時の日本にはキャンピングカーという商品そのものが存在せず、エスカルゴ号は、個人の構想と販売会社の支援、そして架装職人の技術によって生まれた一台でした。
では、その後キャンピングカーはどのように「商品」になっていったのでしょうか。当時の自動車ガイドブックや自動車メーカーの発表資料をたどると、1960年代後半にはすでに市販のキャンピングカーが存在し、1970年代には自動車メーカー各社がこの分野を手がけ、1980年代にもその流れが続いていたことがわかります。
車種系譜シリーズでも、この時代の例に触れてきました。「スズキ・エブリイの系譜」では、1971年に「キャリイ キャンピングカー」がカタログモデルとして販売されていたことを、「トヨタ・タウンエースの系譜」では、1980年代前半にライトエースやタウンエースで二段ベッドを備えた車中泊仕様が正式なグレードとして展開されていたことを紹介しました。今回は、それらを一つの流れとして整理します。
なお、当時のキャンピングカーの販売台数を示す資料は今回確認できていません。そのため本記事では、どのような車両が商品として存在していたかに絞って記述します。
1960年代:マイカー時代の始まりとオートキャンプの芽生え
道路と自家用車が整い始めた時代
エスカルゴ号が日本を出発した1958年は、富士重工業がスバル360を発売した年でもあります。1961年にはトヨタがパブリカを発売し、一般の家庭が手の届く価格の乗用車が少しずつ増えていきました。
道路の整備もこの時期に大きく進みます。1964年の東京オリンピックに前後して首都高速道路が開通し、1965年には名神高速道路が全線開通しました。1969年には東名高速道路が全線開通し、東京と大阪が高速道路で結ばれています。エスカルゴ号の記事で触れたように、1950年代の日本は舗装路そのものが珍しい状況でしたから、10年余りで自動車を取り巻く環境は大きく変わったことになります。
自家用車の普及を決定づけたのが、1966年です。この年、日産自動車がダットサン・サニーを、トヨタ自動車がカローラを発売しました。1,000cc級の大衆車が相次いで登場したこの年は、のちに「マイカー元年」と呼ばれるようになります。1960年代後半には、カラーテレビ、クーラーとともに自動車(カー)が「3C」と呼ばれ、豊かな暮らしの象徴とされました。
オートキャンプという言葉が知られ始める
自家用車が身近になったこの時期に、オートキャンプという過ごし方も一般に紹介され始めます。日本オートキャンプ協会の機関紙によれば、1967年(昭和42年)5月26日発行の『週刊朝日』が、カラーグラビアで初めてオートキャンプを取り上げています。
同じ1967年の4月には、エスカルゴ号で世界を巡った桐野江氏が中心となって、日本オートキャンピングクラブ(NACC)が設立されました。同年5月のゴールデンウィークには、東京・丸の内を出発し、千葉県の鹿野山マザー牧場、箱根の芦ノ湖でキャンプをする2泊3日のツアーを実施し、25台・60人が参加しています。このNACCを母体として、1969年には社団法人日本オートキャンプ協会が認可されました。
自動車メーカーが売り出したキャンピングカー
こうした時代に、自動車メーカーが自社の商品としてキャンピングカーを販売していました。その一つが、日産自動車の「ダットキャビン」です。
ダットキャビンは、ダットサントラック(520型系列)の後期型にあたる521型の荷台に箱型のキャビンを架装したモデルです。1968〜1969年の自動車ガイドブックによれば、専用のベッド、毛布、マットレス、給水タンク、消火器などを装備し、東京店頭渡価格は76万円(A仕様)、乗車定員は3名でした。
トラックの荷台に居住スペースを載せるという構成は、エスカルゴ号と同じであり、現在のトラックキャンパーやキャブコンにつながる考え方です。個人と職人が一台限りで実現した構成を、約10年後には自動車メーカーが商品として売り出していたことになります。ただし、前後の年のガイドブックには掲載がないことから、販売期間は短期間にとどまった可能性があります。
1970年代:レジャーの広がりと自動車メーカー各社のキャンピングカー
移動そのものを楽しむ時代へ
1970年に大阪で開かれた日本万国博覧会には、全国から多くの人が訪れました。同じ年、国鉄は「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンを始め、国内旅行への関心が高まります。1972年には、北海道の札幌で冬季オリンピックが開かれました。
乗用車では、1970年にトヨタ・セリカ、1972年にホンダ・シビックが登場し、同じ1972年に登場した4代目日産スカイライン(通称「ケンメリ」)は、広告とともに広く知られる存在となり歴代で最も売れた世代になりました。自動車は移動の手段であると同時に、若者や家族がレジャーを楽しむための道具として位置づけられるようになっていきます。
一方で、1973年には第一次石油危機が起き、ガソリン価格が大きく上昇しました。また、1970年代を通じて自動車の排出ガス規制が段階的に強化され、各メーカーは対応に追われました。1976年には軽自動車の規格が改められ、排気量の上限が360ccから550ccに引き上げられています。
キャンピングカーのベースとなるキャブオーバー型ワンボックス車の登場
この時代のキャンピングカーを考えるうえで重要なのが、キャブオーバー型ワンボックス車の登場です。1967年にトヨタ・ハイエース、1968年に三菱・デリカ(まずトラック、翌年にバン)、1973年に日産・キャラバンが登場しています。運転席の下に前軸とエンジンを置き、車体の後部を広い箱型の空間とするキャブオーバー車は、荷物を運ぶ商用車として開発されましたが、その空間はベッドや家具を置くキャンピングカーのベース車両としても適していました。
自動車メーカーやビルダーが手がけたキャンピングカー
1970年代に入ると、キャンピングカーを手がける自動車メーカーが増えます。1970年代前半の自動車ガイドブックや自動車メーカーの発表資料には、次のような車両が登場しています。
| 車名 | 手がけた会社 | 形態 |
|---|---|---|
| スズキ キャリイ キャンピングカー 360 | 鈴木自動車工業 | 軽バン改 |
| ニッサン・キャラバン・キャンピングカー | 日産自動車 | ワンボックス改(ハイルーフ) |
| デリカ75 キャンピングバン | 三菱自動車工業 | ワンボックス改(ポップアップルーフ) |
| トヨタ ハイエース コミューター キャンピングカー | セントラル自動車 | ワンボックス改 |
| トヨタ ハイエース HOLIDAY CAMPER | 浅草武シート | ワンボックス改 |
| スバル キャンパーO | 富士重工業 | トレーラー |
| 東急 トラベルトレーラ TT-1 | 東急車輛製造 | トレーラー |
| 東急 モーターホーム MH-1型 | 東急車輛製造 | 自走式モーターホーム |
スズキは、360cc時代のキャリイバンをベースに、室内の中段にキャンバス製のベッドを設け、サイドカーテン、防虫ネット、リヤルームランプなどを専用装備としたモデルを、東京店頭渡価格39万5千円で販売していました。三菱はデリカにポップアップルーフを備えたキャンピングバンを設定し、富士重工業(現SUBARU)はスバルブランドでキャンピングトレーラーを手がけていました。トヨタ系では、トヨタ車の車体製造を担っていたセントラル自動車が、ハイエース コミューターをベースにしたキャンピングカーを手がけています。
日産自動車は、1973年6月4日、同年2月に登場したばかりのキャラバンの長尺ライトバンをベースにした「ニッサン・キャラバン・キャンピングカー」(日産自動車ニュースルーム掲載資料のp.56に収録)を発売しています。同社の発表資料によれば、開発の理由を、生活水準の向上やレジャーの大型化によって、キャンピングカーの需要が徐々に高まりつつあることへの対応としていました。FRP製のハイルーフを備え、セカンドシートとサードシートをベッドとして3人、ルーフのベッドで2人、最大5人が宿泊でき、流し台、清水タンク、排水タンク、コンロ、サイドテント、防虫網などを装備していました。
自動車メーカー以外では、鉄道車両メーカーの東急車輛製造がトレーラーと自走式のモーターホームを、寝具メーカーのフランスベッドがフランスのキャラバンブランド「キャラベルエア」のトレーラーを扱っていました。
1970年には第1回オートキャンプショーが開かれ、1972年の東京モーターショーでは、浅草武シートのハイエース、セントラル自動車のハイエース コミューター、三菱のデリカ75、スバル キャンパーOが出品されました。三菱や富士重工業といった自動車メーカーが、モーターショーの自社ブースにキャンピングカーを並べていたことは、この時期にキャンピングカーが一般の注目を集める商品になっていたことを示しています。
エスカルゴ号の時代にはベース車両の「提供」にとどまっていた自動車業界が、1970年代には自ら商品を企画し、販売する側に回っていたのです。
武キャンパー:黎明期のバンコンとキャブコンを代表したメーカー
当時のキャンピングカーを語るうえで欠かせないのが、浅草武シートの「武キャンパー」です。
浅草武シートは、1925年(大正14年)に東京・浅草で帆布製品の製造から始まった会社で、現在はタケクラフトコーポレーションとして特殊車両の車体製造を続けています。1970年の第1回オートキャンプショーには、トヨタ・ハイエース(PH10G)をベースに、FRP製のルーフボックスを備えたキャンパーを出展していました。
以前の記事で紹介したエスカルゴ号の居住部を架装したのは、「武ボデー」(資料によっては浅草武シート)でした。武キャンパーは、このエスカルゴ号を架装した事業者をルーツに持つブランドと考えられます。浅草武シートは、国内の代表的なキャンピングカーメーカーとして日本自動車車体工業会の会員となっており、日本自動車工業会が発行する『自動車ガイドブック』には、自動車メーカー各社の車両と並んで武キャンパーが掲載されていました。そうであれば、1958年に一台限りで生まれたエスカルゴ号の架装技術は、10年余りを経て、業界団体に名を連ねる車体メーカーの商品になったことになります。
武キャンパーは、1970年代から1980年代を通じて、現在のキャンピングカーの主要な形態を幅広く手がけていました。
- バンコン:トヨタ・ハイエース、日産キャラバン/ホーミーなどのワンボックスをベースに、ハイルーフやポップアップルーフを架装した車両
- キャブコン:小型トラックをベースに、運転席の上部にベッドスペースを張り出した居住部を架装した車両
- バスコン:マイクロバスをベースにした車両
ベース車両のモデルチェンジに合わせて武キャンパーも更新されており、日産キャラバン系ではE20型、E23型、E24型と、世代ごとにベース車両を切り替えていきました。1980年代後半には、米国のフルサイズバンであるフォード・エコノラインをベースにした車両も手がけています。
ワンボックスを改造するバンコンと、トラックに居住部を載せるキャブコンは、現在の国産キャンピングカーの中心となっている形態です。武キャンパーは、その両方を黎明期から商品として展開していた代表的な架装メーカーでした。
1980年代:自動車大国の時代に受け継がれた流れ
生産台数で世界一になった日本の自動車産業
1980年、日本の自動車生産台数は米国を上回り、世界一となりました。1970年代の石油危機と排出ガス規制を経て、燃費がよく故障の少ない日本車が、国内外で広く受け入れられるようになった時期です。
乗用車では、1981年にトヨタ・ソアラが登場し、トヨタ・マークIIとその姉妹車であるチェイサー、クレスタなど、上級の4ドアハードトップが「ハイソカー」と呼ばれて人気を集めました。1980年代後半には、いわゆるバブル景気のもとで、より高価なクルマを求める傾向が強まっていきます。
ワゴンとRVの台頭
キャンピングカーとの関係で見逃せないのが、ワンボックスワゴンや四輪駆動車の広がりです。1979年には三菱・デリカスターワゴンが登場し、1982年には三菱・パジェロが発売されました。商用車をもとにしたワンボックスワゴンは、多人数で移動でき、荷物も多く積める乗用車として、家族のレジャーに使われるようになります。こうした車種は、のちに「RV(レクリエーショナル・ビークル)」と呼ばれるようになりました。
冒頭で触れたライトエースやタウンエースの二段ベッド仕様は、まさにこの流れの中で、自動車メーカーがカタログモデルとして設定したものでした。架装メーカーによる本格的なキャンピングカーと、自動車メーカーの量産グレードとしての車中泊仕様が、並行して存在していたのです。
武キャンパーとキャラベルエアの継続、そしてトヨタの展開
架装メーカーでは、武キャンパーとキャラベルエアの販売が1980年代を通じて続けられていました。武キャンパーは、ベース車両の世代交代に合わせて車両を更新し、ワンボックス、小型トラック、マイクロバス、そして米国のフォード・エコノライン(3代目)と、ベース車両の幅を広げています。
1980年代の終わりには、トヨタ自動車が自社の名前でキャンピングカーを展開しています。1989〜90年の自動車ガイドブックには、タウンエース キャンプメイト、ハイエース クルージングキャビン、コースター キャンピングカーの3車種が、トヨタ自動車のページに掲載されていました。1970年代前半には車体メーカーであるセントラル自動車の名前で掲載されていたトヨタ車のキャンピングカーが、約17年後には、小型キャブコン、バンコン、バスコンの3つのジャンルでトヨタ自動車のカタログモデルとして並んだことになります。
当時のキャンピングカーが残っていない理由
これらのキャンピングカーの現存車両はわずかです。オートキャンパー誌の記事では、その理由として、当時のキャンピングカーは高価だったこと、ボディの防錆に対する考え方が現在とは異なり錆びやすかったこと、NOx規制の影響で廃車になった車両が多かったことを挙げています。高価であったことから、販売台数そのものが少なかったのだと考えられます。
当時のキャンピングカーがどれほど高価だったかは、同時代の乗用車や大卒初任給と比べるとわかります。1973年に日産自動車が発売したニッサン・キャラバン・キャンピングカーの価格は、東京地区標準現金価格で185万円でした。同じ1973年に日産が発売したスカイラインGT-R(ケンメリ)は、同じく162万円であり、キャンピングカーはこれを23万円上回っていました。また、185万円は1973年の大卒初任給(月給6万2,300円)の約30か月分にあたります。1968年のダットキャビンの76万円も、同年の大卒初任給(月給3万600円)の約25か月分という価格でした。一方、軽自動車ベースのキャリイ キャンピングカー 360の39万5千円は、1971年の大卒初任給(月給4万6,400円)の約8.5か月分で、軽自動車ベースであれば現実的な選択肢であったことも読み取れます。
キャンピングカーの多くは、ベース車両の屋根を切断してFRP製のルーフを追加するなど、ベース車両の車体に手を加えた構造です。架装部内部には木製の家具や給水設備なども搭載されています。車体を切断した部分や架装部との継ぎ目から雨水や結露がボディの内側に回り込めば、外から見えない部分で錆が進みます。また、ベース車両が排出ガス規制などで登録できなくなれば、車両がまだ使える状態でも手放さざるを得なくなります。当時の車両が残っていないことは、キャンピングカーを長く使い続けることの難しさを示しているともいえそうです。
現在の分類は、この時代にほぼ出そろっていた
1960年代後半から1980年代までに商品として存在していたキャンピングカーを、現在の分類に当てはめると、次のようになります。
- キャブコン/トラックキャンパー:ダットキャビン、武キャンパーのキャブオーバー型、タウンエース キャンプメイト
- バンコン:武キャンパー、ニッサン・キャラバン・キャンピングカー、デリカ75、ハイエース コミューター、ハイエース クルージングキャビン
- バスコン:武キャンパーのマイクロバスベース、コースター キャンピングカー
- 軽キャンパー:キャリイ キャンピングカー 360
- キャンピングトレーラー:スバル キャンパーO、東急、キャラベルエア
- 自走式モーターホーム:東急 MH-1型
現在の主要な分類は、この約20年の間に、ほぼすべて日本国内で販売されていたことになります。
憧れの対象としてのキャンピングカー
1958年、キャンピングカーという商品がない時代に、エスカルゴ号は一台限りの手づくりで生まれました。1966年のマイカー元年を経て自家用車が家庭に広がると、自動車メーカーがキャンピングカーを売り出し、1970年代には自動車メーカー各社に加え、車体メーカー、鉄道車両メーカー、寝具メーカーと、さまざまな立場の企業が商品を用意するようになりました。その中で武キャンパーは、バンコンとキャブコンの両方を手がけ、1980年代を通じて商品を出し続けています。日本の自動車産業が世界一の生産台数に達した1980年代の終わりには、トヨタ自動車が自社のカタログモデルとしてキャンピングカーを並べていました。
日本のモータリゼーションの黎明期から普及期にかけての約30年間で、「泊まれるクルマ」は個人の夢から、選んで買える商品へと移り変わったことになります。
販売台数の資料が探せないことから、どの程度普及していたかは断定できません。道路が整備され、自家用車が普及し、石油危機や排出ガス規制といった変化を経るあいだも、自動車メーカーを含む複数の企業が20年以上にわたり商品を出し続けていたことから「クルマで移動し、クルマで眠る」という使い方が、モータリゼーションの黎明期から、多くの人にとって潜在的な憧れの対象であったと推測できます。1973年に日産自動車がキャンピングカーを発売した際、その理由として需要の高まりを挙げていたことも、この推測を裏付けるものだといえるでしょう。スカイラインGT-Rを上回る価格であっても、自動車メーカーが商品として成り立つと判断するだけの根拠があったのだと考えられます。
結び:CSSファクトリーの視点から
エスカルゴ号も、武キャンパーも、そして現在のキャンピングカーも、車体の構造は「ベース車両」と「架装部分」の組み合わせです。ベース車両はメーカーの整備網で点検を受けられますが、ベッド、給水タンク、ポップアップルーフ、シェルといった架装部分の整備や修理には、ベース車両とは別の知識と技術を必要とします。この構造は、エスカルゴ号の時代から変わっていません。
当時のキャンピングカーの多くが残っていないことは、ベース車両と架装部分の両方を健全な状態で維持し続けることの難しさを示しています。CSSファクトリーは、ベース車両と架装部分すべての整備・修理にワンストップで対応しています。私たちは、70年近く前から続く日本のキャンピングカーを、これからも長く使い続けていただくために支えていく存在でありたいと考えています。
キャンピングカーや車中泊車でお困りのことがあれば、お気軽にCSSファクトリーのお問い合わせ窓口からご連絡ください。